歴史の授業で杉田玄白(すぎたげんぱく)は福井にゆかりのある偉人のひとりです。歴史の教科書で『解体新書』という書物の名前と一緒に習った方は多いのではないでしょうか。ただ、杉田玄白や書物の名前を知っていても具体的にどのような偉人で、福井とどんな関係があるのか知らない方もいらっしゃるはずです。
今回の記事では福井にゆかりのある偉人として杉田玄白をご紹介します。福井との関係性や功績などを5分で読めるようにまとめました。
杉田玄白は江戸時代のお医者さん
杉田玄白は江戸時代のお医者さんです。生まれは福井・・・と言いたいところですが、江戸になります。杉田玄白は江戸にある小浜藩酒井家の下屋敷で生まれたと言われています。今で言うところの、東京にある地方自治体の窓口と住居のようなものを想像すると分かりやすいかもしれません。
杉田玄白のお父さんは小浜藩のお医者さんをしていました。なので、杉田玄白が医者の道を歩んだのは自然なことだったのかもしれません。
杉田玄白が8歳のときに父親は福井県(小浜藩)に戻って過ごし、その後に再び父について江戸に戻ってきています。後、自身も医学を学んで小浜藩医になりました。同時に、日本橋のあたりで町医者もやっていたと言います。医者として仕事をし、『解体新書』『蘭学事始』などを書き残しています。
なお、『蘭学事始』を公刊したのは、あの福沢諭吉だったそうです。
解体新書など杉田玄白の功績
杉田玄白の功績といえば、やはり『解体新書』が真っ先に思い浮かぶのではないでしょうか。杉田玄白には江戸幕府の11代将軍に薬を献上したという記録も残っているのですが、功績と言えばやはり現代に残る有名な書物でしょう。
杉田玄白は藩医になってから処刑された罪人の解剖を見ることがあったそうです。解剖の結果、当時の日本の医学書や医術に疑問を持ち「蘭書(海外の書物)の方が正確ではないか?」と思ったようです。後にオランダの商館から借りた医学者を目にする機会があり、その詳細な図に驚いたと言います。藩に相談してその書籍を購入したというのですから、よほど感嘆したのでしょう。
杉田玄白はその書籍・・・『ターヘルアナトミア』を友人や同僚たちと翻訳して世に広めました。
なお、解体新書ですが、現在も普通に購入可能です。ネットなどで購入できますので、興味があればぜひ読んでみてください。
杉田玄白と福井の関係とは
杉田玄白は生まれこそ江戸ですが、小浜藩の藩医ですから、今でいうところの自治体のお医者さんという感じではないでしょうか。一時期、福井の小浜に住んでいたこともあるわけですから、福井との関係性は十分だと言えるでしょう。
福井には杉田玄白ゆかりの地がたくさんある
小浜市には杉田玄白像があります。像の近くには杉田玄白記念公立小浜病院があります。
この他に、杉田玄白ゆかりの地といえば、「小沢寺滝不動尊」と「大谷不動の滝」などが有名です。
杉田玄白は幼い頃に体が弱かったそうです。福井に転居したときに、父親は何とか息子の体を丈夫にしてやりたいと、大谷不動の滝を飲ませていたのだとか。
杉田玄白ゆかりの「小沢寺滝不動尊」と「大谷不動の滝」は途中から徒歩になるのでやや行きにくい場所ではありますが、観光自体は可能になっています。いずれ日本の歴史に名を残す人がどのような水を飲んでいたのか、ちょっと興味がありますよね。
今回は杉田玄白についてご紹介しました。
杉田玄白は福井にゆかりのある偉人の中でも全国的な知名度の高い偉人ではないでしょうか。他県の人に「福井にはどんな有名人がいる?」と尋ねられたときのために、杉田玄白のことは覚えておきたいですね。
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