石塚左玄とは?福井出身の「食育」の祖の考え方や生い立ちを紹介

石塚左玄(いしづかさげん)とは福井出身の医師・薬剤師です。福井県には食育文化が根付いていると言われています。石塚左玄は食育の発展と普及に努めたと言われており、日本の食育の祖として知られる偉人です。福井に食育文化が根付いたのは石塚左玄の影響があったからかもしれません。

今回の記事では福井県の偉人として、食育の祖・石塚左玄をご紹介します。

石塚左玄(いしづかさげん)の生い立ちとは?

石塚左玄は福井県福井市に生まれました。生まれたのは江戸末期から明治にかけて活躍した医師・薬剤師です。

福井県の漢方医の家に生まれたと言われています。若くして医学や薬学の分野で功績がありましたが、現在は「食育の祖」としての知名度が高いかもしれません。

福井県は食育文化が盛んだと言われていますが、その礎を築いた偉人こそ石塚左舷です。

石塚左玄は陸軍で薬剤監をしていたのですが、当時はまだ食育という考え方はなく、健康と栄養、食事の関係を理論的に説いた医師・薬剤師はいなかったとも言われています。

食と健康の関係に着目し理論立て、食事指導などを行っていたそうです。「医食同源、食育は大切なことだよ」と説明し、この考え方を広く普及させるために尽くしました。

今でこそ普通に使われる「食育」という言葉。そして、食と健康や文化を関連付ける考え方。これは、石塚左玄が頑張って普及に努めたからこそ、今日の日本では当たり前になったのかもしれません。

福井県は食育を推進していますが、それも石塚左玄あってのことですね。

石塚左玄が伝えた食育の基本

石塚左玄の食育は次の2つの考え方を基本にしています。

・体育、知育、才育の基本は食である

・地域の食文化に学ぶ

ひとつ目は「子供の体育も才能も、食に基本があるのだよ」という考え方です。子供を健全に育てるためには健全な食事が重要。知識に則った食事こそ人を伸ばす。人を育む。まさに食育です。

もうひとつは「それぞれの地域の食生活を尊重しよう」という考え方になります。それぞれの地域・自治体で食べられてきた食事は、長く食べられてきたからこそ意味があるはずだと石塚左玄は考えました。先祖が試行錯誤して地域で健全に育ち、生活するために試行錯誤して作り上げたのが地域それぞれの食です。

地域の食事を「あれはだめ」「こちらにすべき」と型にはめるのではなく、「その地域で培ってきた食文化には意味がある」と考えて、学ぶべきであると説きました。

また、石塚左玄は2つの考え方を基礎にした食育を6つの要点にまとめ、分かりやすく人々に説明しています。

・食育は家庭教育の一環である
 →食事は子供の健全な育成に重要なのだから、親が行う家庭教育のひとつ。とても大切なこと!

・食事は命である
 →人の心身は食事によって育まれ、維持される。だからこそ食事はとても大切!

・人は穀物を食べる生き物である
 →歯の形状などから人は穀物食に向いている。主食としてお米を食べよう!

・食物は丸ごと食べた方が良い
 →食材の一部に栄養があるのではなく、全体にある。だからこそ、丸ごと(全部)食べるべき!

・地産地消の旬の食材を食べる
 →住んでいる地域、生まれ育った地域の旬の食材は心身に良い。栄養価も高い。だからこそ地域の旬の食材を食べよう!

・バランスの良い食事をする
 →偏った食事はNG。バランスの取れた食事をすることが重要!

食育と言われると「じゃあ何をすればいいの?」となってしまいますが、このように分かりやすい6つの要点で説明されると「納得」となりますよね。石塚左玄の食育の考え方が福井をはじめとして日本に根付いているのは、分かりやすさも理由だったかもしれません。

石塚左玄の食育については書籍も出ています。福井出身の偉人、そして食育の祖の書籍です。

「食事や栄養について考えてみようかな?」「福井の偉人の書籍を読んでみようかな」という人は、ぜひ読んでみてください。

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