福井の桜の名所・丸岡城の伝説を知っていますか?大蛇とお静さんの話

福井県坂井市にある「丸岡城」は桜の名所として知られています。2022年も桜の開花にあわせて、新型コロナウイルスの感染防止に配慮しつつ、ライトアップやプロジェクションマッピングなどが予定されています。

https://maruoka-castle.jp/sakurafes

丸岡城は北陸で唯一天守が現存している城としても知られており、桜の季節に見られる花と天守の光景は見事の一言です。見事な景観を誇る丸岡城ですが、ちょっと不思議な別の伝説でも知られることをご存じでしょうか。

福井の桜の名所「丸岡城」の観桜が10倍楽しくなる、不思議な伝説をご紹介します。

福井県坂井市の丸岡城とは?

丸岡城は織田信長の命により柴田勝家が、自身の甥に築かせた城だといわれています。丸岡城は別名「霞ヶ城」とも呼ばれています。

日本各地にはいくつかの城が現存していますが、多くの城は築かれた当時の姿で残っているわけではありません。一部を改築していたり、天守がなくなっていたりしますよね。丸岡城も明治の廃城令により一部が解体されていますが、天守の部分は地元が買って何とか残したのだそうです。だからこそ、現在は北陸で唯一天守が残っている城、そして唯一天守と桜のコントラストが楽しめる城として愛されています。

丸岡城の周囲には400本ものソメイヨシノが植えられているのだとか。日本さくら名所100選にも選ばれています。

丸岡城の側には日本庭園式公園の「霞ヶ城公園」があります。霞ヶ城公園は日本の歴史公園100選のひとつです。春の桜ももちろん美しいのですが、他の季節も美しい公園で、散歩スポットや観光地として愛されています。

丸岡城に残るふたつの伝説

歴史のある場所にはいろいろな伝説や逸話が残っているものです。丸岡城にも不思議な伝説がふたつ伝わっています。ひとつは大蛇の伝説で、もうひとつはお静さんという女性の伝説です。

丸岡城に現れた大蛇の伝説

丸岡城は別名「霞ヶ城」と呼ばれます。霞ヶ城という異名の由来になったのがこの大蛇伝説だといわれています。

むかしむかし、丸岡城の井戸には大蛇が住んでいたそうです。丸岡城が敵に襲われて包囲されたとき、井戸からこの大蛇が姿を現して、霧を呼び、城を覆い隠したといわれています。以降、丸岡城は城に霧をかけた大蛇の伝説にちなんで霞ヶ城と呼ばれるようになったわけです。

桜の季節の丸岡城は桜がけむり、桃色の霧がかかったように見せると評判です。大蛇伝説を考えると、夜桜などはさらに幻想的に見えるかもしれませんね。

丸岡城の人柱になったお静さんの伝説

丸岡城にはもうひとつ「お静さん」という女性の伝説が残っています。

むかしむかし、織田信長の命令で丸岡城を築城することになった柴田勝家は、甥っ子に築城を任せました。しかし築城の際、天守の石垣を何度詰んでも崩れてしまうのです。何か良い方法はないものかと協議した結果、家臣のひとりが「人柱を立てたらどうか」と言い出しました。

当時、城下にはお静さんという女性が住んでいました。お静さんは未亡人で、ふたりの子供を抱える母親でした。お静さんは片目が見えなかったため、生活には苦労していたそうです。そんなお静さんに、人柱の話が持ち上がりました。

築城を進めていたお城の人たちがお静さんに人柱について話したところ、お静さんはこれを承諾。ただ、自分のふたりの子供のうちひとりを召し抱えてもらえないか(就職の内定をもらえないか)という条件をつけました。築城を進める藩主側はこれを承諾したといいます。条件を飲んでもらったお静さんは、丸岡城の人柱になりました。

しかし、後日、藩主が別の地域に移ることになってしまい、お静さんの子供のひとりを召し抱えるという話はご破算になってしまったのです。

以降、桜の季節になると誰かが涙を流すような雨が降り、水害が起きたといわれています。丸岡城や近隣に住む人たちは、この雨や水害を「お静さんの涙だ」といって供養したと伝わっています。

今回は桜の名所・丸岡城にまつわる伝説をご紹介しました。

春に桜を見るとき、ふっと思い出してしまいそうな伝説です。

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