福井県出身の偉人・由利公正(ゆりきみまさ)をご存じでしょうか。
由利公正は福井県の出身で、歴史の教科書に名を残す坂本龍馬などとも交流のあった藩士・政治家・実業家です。同じく歴史の教科書に登場する五箇条の御誓文の原案にも関わった人で、福井だけでなく近代の日本を語る上でなくてはならない存在になります。
今回は福井出身の偉人として文政から明治にかけて活躍した「由利公正」をご紹介します。
福井県出身の「由利公正」とは?
由利公正は文政から明治にかけて政治や事業など多分野で活躍した偉人です。
福井藩士の家柄に生まれて、当時の近代的な産業に興味を持って勉強し、その財政の腕や知識を買われて福井藩の財政再建を任されました。江戸時代から近代に移り変わる中で福井の財政を支えた偉人と言えるでしょう。
また、由利公正は坂本龍馬などの偉人とも交流があり、明治政府の基本的な方針である五箇条の御誓文の原案(議事之体大意)も作成しています。歴史の授業などで五箇条の御誓文という名前を耳にした方は多いのではないでしょうか。
由利公正はこの他にも偉人と交流があり、生命保険会社の社長などにも就任し、さらに東府知事にも就任し、銀座の整備や最初の紙幣の発行にも関わっています。
福井藩士であり、政治家であり生命保険会社の社長でもあり、という多方面で活躍した偉人が由利公正です。多くの偉人や物事に関わっているため「政治家」や「実業家」「生命保険会社の社長」「知事」など、一言で表現することが難しい人とも言えるかもしれません。
また、由利公正は坂本龍馬と極めて仲が良かったと言われることから、近年、歴史の中で注目を浴びています。評伝なども出ていますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
政治家に事業化に社長に知事。そして、坂本龍馬などの偉人と交友関係のあった人。ますます一言で表現することが難しい偉人ですね。
由利公正の生まれと来歴
由利公正は現在の福井県福井市で生まれました。福井藩士の家柄に生まれ、福井を訪れていた熊本藩士であり儒学者でもある横井小楠から財政学を学んだと言います。
後、福井藩を支える藩士のひとりだった由利公正の知恵と手腕を認めた当時の藩主から、藩の財政の立て直しを命じられています。由利公正は財政再建策として進めたのは、藩札と専売制(特定の品物の流通を管理する政策)、殖産興業政策を組み合わせたものでした。
やがて由利公正は幕府の側用人に任命されますが、薩長の扱いを巡って幕府と対立してしまったため、蟄居・謹慎処分の身の上になってしまいます。蟄居・謹慎処分中には坂本龍馬が訪れて交流を深めたのだとか。由利公正と坂本龍馬は非常に気が合い、時間を忘れて語り合っていたとも言われています。
やがて明治維新、そして江戸幕府が終焉を迎えると、由利公正は五箇条の御誓文の草案に着手しました。五箇条の御誓文は由利公正の作成した議事之体大意を大元にしています。新政府でも金融財政担当として活躍しました。福井藩士から頭角を現し、新政府の国政を支える立場になったわけです。
由利公正は明治4年に東京府知事に就任。岩倉具視の使節に同行するかたちで海外諸国の視察を行っています。板垣退助や江藤新平らとも交友関係を結んでいます。元老院議官、貴族院議員を経て、生命保険会社の社長にも就任しました。
日本の明治維新、近代の政治の成り立ちを語る上で欠かすことのできない偉人が由利公正です。
由利公正にまつわる福井県の観光スポット
由利公正広場|Google MAP
福井県福井市には由利公正の銅像が立つ「由利公正公園」があります。五箇条の御誓文の元になった議事之体大意の展示板などもあり、公園内をゆったりと散策しながら福井の偉人の業績に思いを馳せることが可能です。
福井観光の際はぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょう。
画像出典:「子爵由利公正伝」より
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