家臣である明智光秀(あけちみつひで)が主君である織田信長(おだのぶなが)に謀反を起こした歴史的な事件「本能寺の変」。歴史の教科書にも書かれている有名な事件ですよね。
本能寺の変の首謀者である明智光秀は福井県にゆかりの深い武将であることをご存じでしょうか。明智光秀は出身こそ福井県ではないものの、長期で福井に住んでいたなど、福井県と関りが深いのです。また、福井県の観光スポットの中には明智光秀に関する場所もあるため、福井の観光を語るうえでも欠かすことのできない人物であると言えるでしょう。
明智光秀と福井県の関係や明智光秀の来歴、ゆかりのある観光スポットなどをご紹介します。
福井とゆかりのある「明智光秀」とは?
明智光秀は織田信長に仕え、最終的に謀反を起こした有名な戦国武将です。
明智光秀は主君である織田信長より5歳以上年上で、もともと美濃の戦国武将である斎藤道三(さいとうどうさん)に仕えていたと言われています。道三の親子のいさかいにより仕える先を一時失った明智光秀は朝倉義景(あさくらよしかげ)を頼り、しばらく福井県に滞在していました。福井滞在の折に医学の知識を身に着け、足利義昭(あしかがよしあき)に仕え、やがて織田信長に仕えるようになったと言われます。
比叡山の焼き討ちや一乗谷の戦いなどでの貢献が認められ、織田信長の臣下の中でも有力者のひとりになりましたが、やがて本能寺の変で謀反を起こすことになります。
本能寺の変や明智光秀については未だに謎も多く、歴史好きの間でもよく議論になっていますよね。
明智光秀の生まれと来歴
明智光秀は謎の多い戦国武将です。信頼性の高い歴史資料では未だに謎に包まれている部分が多く、当時の資料をあたって大よそを予測するしかない事柄が多い人物でもあります。
明智光秀は岐阜県だと言われています。ただ、明智光秀の出生地については諸説あるため、岐阜県の生まれという説も、あくまで有力説のひとつ。その育ちについても謎が多い人物です。
明智光秀については日本の歴史物で多く触れられていますので、そういったところから触れてみるのも良いかもしれません。
たとえば、ドラマにもなった「信長のシェフ」
明智光秀はこの漫画にも登場し、冷静で忠実な信長の臣下として描かれています。
また、明智光秀の子孫とされている方の歴史ドキュメントがもとになっている漫画本もあります。こちらは明智光秀が主軸として描かれていますので、人となりをよりリアルに想像できるのではないでしょうか。
明智光秀に関係のある福井の観光スポット
明智光秀は福井県に長期滞在していたことがあり、その縁で福井県の各所にはゆかりの観光スポットが多数あります。福井出身の偉人ではないものの、福井に縁の深い人物であることは間違いないでしょう。
有名なところとしては明智神社などがあります。
明智光秀が福井県に滞在していた際の住居跡が明智神社です。明智神社のある地域の人々は当時から今に至るまで、この場所を大事にしています。毎年6月13日(明智光秀の命日)は御開帳が行われ、福井と明智光秀の縁を感じさせます。なお、この神社は明智光秀の娘である細川ガラシャの生誕地でもあるそうです。
この他にも福井県内には明智光秀ゆかりの地が多く、その数30以上にもなります。城やお寺、神社などが数多くゆかりの地として知られる中、面白いのは東尋坊の近くにある雄島や、ダムで知られる穴馬なども明智光秀ゆかりの地になっているところ。穴馬については江戸時代に書かれたと言われる明智光秀が主人公の軍記物「明智軍記」にも記述が見られます。
「明智軍記」は書店やネット通販などで購入できますので、興味のある方はこの機会に読んでみてはいかがでしょう。歴史上の有名な人物の物語に福井の地名や描写が出てくると、わくわくすることでしょう。
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