ウィリアム・エリオット・グリフィスは福井県にゆかりのある偉人です。
ある福井県民と親交を結び、後に日本のことを欧米に紹介したい人物として知られています。
ウィリアム・エリオット・グリフィスが滞在した県こそ福井県でした。
この記事では福井県ゆかりの人物として、ウィリアム・エリオット・グリフィスについて紹介します。
記事中ではウィリアム・エリオット・グリフィスについての資料なども紹介しますので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
ウィリアム・エリオット・グリフィスとは?
グリフィス記念館
ウィリアム・エリオット・グリフィスは明治時代にアメリカからやって来た教師です。ある福井県民と親交があったことから日本、そして福井(福井藩)に興味を持ち、福井県に招かれるかたちでやって来ました。
ウィリアム・エリオット・グリフィス(以降、ウィリアム氏)が担当した科目は理科。
福井にやって来たときは学校の設計にも関わっています。
現在、理科の教室と言えば机があり、実験器具があり、先生と生徒が簡単な理科の実験などをしますよね。
ウィリアム氏が設計したのは、まさにそんな理科教室。実際は天窓があったり、大きな窓があったりしたのですが、当時の日本の学校にこんな理科室は稀でしたから、さぞかし画期的で開放的に見えたことでしょう。
ただ、ウィリアム氏は福井藩に招かれていたものですから、歴史の流れで廃藩置県により福井藩がなくなってしまったときに、福井を離れてしまいました。ですが、福井を離れても縁は続いており、当サイトでも紹介した福井の偉人である由利公正の依頼で東大(当時の大学南校)の先生になっています。
福井との縁でやってきて、福井との縁で先生をしていた。そして、福井の他の偉人とも関りがある。そんなアメリカの教師がウィリアム氏です。
なお、ウィリアム氏は日本で教師をしてからアメリカに帰り、日本で見聞きしたこと、日本で体験したことを広く欧米に伝えています。欧米と日本の架け橋にもなった人です。
福井市立郷土歴史博物館ではウィリアム氏の資料を公開しています。PDF形式の読みやすい資料です。ぜひ読んでみてください。
http://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/archives/zuroku/47.pdf
また、福井市立郷土歴史博物館ではグリフィス氏に関する書籍も販売しています。こちらもおすすめです。
http://www.history.museum.city.fukui.fukui.jp/riyo/tosho.html
ウィリアム・エリオット・グリフィスはと福井県の縁
そもそもウィリアム氏はどのように福井と縁を持ったのでしょう。そして、福井に招致されるきっかけを作った親交のあった福井の人物とは誰だったのでしょうか。
ウィリアム氏と親交のあった福井の人物とは、日下部太郎(くさかべたろう)のことです。日下部太郎氏は福井藩士の家柄に生まれました。学問が得意で成績は優秀。福井の藩主から表彰を受けたこともあったようです。
その優秀さを認められた日下部太郎氏は福井の留学生第一号としてアメリカに留学することになりました。留学先であるアメリカで出会ったのがウィリアム氏でした。
ウィリアム氏と日下部太郎氏が仲良くなったことで、後にウィリアム氏は日本にやって来ることになり、福井ならびに日本の学問の発展に貢献するわけですね。そして、日本のことお欧米に広めるきっかけになるわけです。
日下部太郎氏の同窓生には勝海舟(かつかいしゅう)の息子や岩倉具視(いわくらともみ)の息子などもいたそうです。勝海舟や岩倉具視と言えば歴史の教科書に名を連ねる偉人です。こちらも面白い縁ですよね。
日下部太郎氏は学校を卒業する前に若くして病気で亡くなってしまいます。ですが、その縁が福井や日本につながったわけですから、これまた不思議なものです。
今回はウィリアム・エリオット・グリフィスと、ウィリアム氏が福井にやってくるきっかけを作った日下部太郎氏を紹介しました。福井や日本の歴史を感じさせるエピソードですね。
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