福井の偉人「橋本左内(はしもとさない)」の歴史まとめ

こんにちは、ナオヤ(@tsubota708)です。

フクブロではYouTubeチャンネルもありまして、そちらでは福井ネタをテーマに様々な動画を上げています。その中で福井の偉人「橋本左内(はしもとさない)」について紹介している動画もあります。せっかくなので記事としても残しておきたいと思います。

今回イラストはフクブロメンバーの”ちゃんあや”が書いてくれたものを使わせてもらいました!

動画のリンクは記事の最後に貼っておきますね。


橋本左内ヒストリー!(ざっくり)

NHKドラマ「西郷どん」でも出演があった橋本左内ですが、俳優の風間俊介さんが演じ人気でしたね。

文献などを調べれば詳しく偉業がでてきますが、ざっくりとですがご紹介したいと思います。

幼少期

橋本左内は、天保5年(1834)3月11日に、福井県城下常盤町(現在の春山2丁目)に福井藩医の子として生まれました。

幼少の頃から勉学に励んでおり、いつも読書にふけっていたそうです。
10歳の頃には、「三国志」を読破し周りの人を驚かせていたといいます。

また、藩の医学校である済世館(さいせいかん)で、漢方医学を、藩の儒学者である吉田東篁(よしだとうこう)の塾では、儒学をはじめ中国の学問も学んでいたそうです。

優秀さが認められる

第16代越前福井藩主「松平春嶽」にその優秀さを認められ、藩政改革なども行っていました。

これが20代前半までのことというのですから、まさに早熟の天才と言えますよね。

その後その活躍ぶりは、福井に止まらず日本各地へと赴いていました。

知識を得る一方で、江戸では西郷吉兵衛(隆盛)をはじめ、多くの志士たちと交流していたそうです。

そんな将来もさらなる活躍が期待されていた松平春嶽ですが、”安政の大獄”により処刑され26歳という短い生涯を閉じました。

15歳の頃書いた啓発録

橋本左内が行ったものの一つとして、有名なのが15歳の頃書いた「啓発録(けいはつろく)」だと言われています。

啓発録は、橋本左内自身が将来の自分に書いた、立派な人間になるために、このようなことをするぞといった決意書のようなものです。

どのような内容が書かれているかというと、このような5訓が書かれています。

稚心を去る

目先の遊びなどの楽しいことや怠惰な心や親への甘えは、学問の上達を妨げ、武士としての気概をもてないので、捨て去るべき。

気を振う

人に負けまいと思う心、恥を知り悔しいと思う心を常に持ち、たえず緊張を緩めることなく努力する。

志を立てる

自分の心の赴くところを定め、一度こうと決めたらその決心を失わないように努力する。

学に勉める

すぐれた人物の素行を見倣い、自らも実行する。また、学問では何事も強い意志を保ち努力を続けることが必要だが、自らの才能を鼻にかけたり、富や権力に心を奪われることのないよう、自らも用心し慎むとともに、それを指摘してくれる良い友人を選ぶよう心掛ける。

交友を選ぶ

同郷、学友、同年代の友人は大切にしなければいけないが、友人には「損友」と「益友」があるので、その見極めが大切で、もし益友といえる人がいたら、自分の方から交際を求めて兄弟のように付き合うのがよい。益友には、次の5つを目安とする。

  • 厳格で意思が強く、正しい人であるか。
  • 温和で人情に篤く、誠実な人であるか
  • 勇気があり、果断な人であるか。
  • 才知が冴えわたっているか。
  • 細かいことに拘らず、度量が広い人であるか。

啓発録 「5訓」wikipediaより

さいごに

今まで自分自身、橋本左内についてあまり知りませんでした。

短い生涯の中で様々な偉業を成した福井のスーパースターをもっと知りたくなりました。

橋本左内の生涯をマンガにしたものや、啓発録をまとめた書籍なんかもあるので合わせて読んでみたいと思います。

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