教科書や本などで近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)という名前を耳にしたことはありませんか。
近松門左衛門は江戸時代の浄瑠璃・歌舞伎の台本作家として有名になった偉人です。近松門左衛門には『曽根崎心中』などの代表作があり、「名前はちょっと分からないなあ」という方でも、気づかないうちに作品名などを耳にしたことはあるかもしれません。
近松門左衛門は福井県に深い縁のある偉人のひとりです。
今回は福井の偉人伝として、近松門罪衛門について取り上げたいと思います。
近松門左衛門とは?
近松門左衛門は現在の福井県出身の浄瑠璃・歌舞伎の台本作家です。
本名は杉森信盛(すぎもりのぶもり)と言い、江戸時代に活躍しました。
近松門左衛門の父は福井藩・吉江藩などに仕えた武士でした。母親は医者の家系だったそうです。
その後、父親は京都に移ったため、近松門左衛門も福井を離れることになりました。京都に移り住んでからは公家に仕え、その時に教養を磨いたと言われています。
やがて近松門左衛門は公家仕えで磨いた教養や知識を参考に、浄瑠璃の台本を書くようになりました。作品作りを重ね、やがて今日でも有名な『曽根崎心中』を完成させました。
近松門左衛門の名前を聞くと「歴史のテストに出たな」と懐かしく思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。
近松門左衛門の出生地には2つの説がある
近松門左衛門の出生地には2つの説があります。
ひとつは福井市で生まれて鯖江市で幼少期を過ごしたのではないか、という説。
もうひとつは鯖江市で生まれ育ったのではないか、という説です。
福井市と鯖江市はどちらも福井県ですが、福井市民と鯖江市民としては「どっち?」と言いたくなってしまいますよね。
近松門左衛門の代表作『曽根崎心中』とは
曽根崎心中は実際に起きた心中事件をベースに近松門左衛門が完成させた物語です。
物語に登場するのは叔父の経営する醤油屋に勤める徳兵衛という男性と、お初という遊女。
ふたりは想い合っていましたが、簡単に結ばれることはかないません。そんな折り、徳兵衛に縁談が持ち上がりました。
徳兵衛はお初を想っていますので、縁談話を断ります。
しかし、醤油屋の主人は何とか徳兵衛の縁談を成功させようと、徳兵衛の継母にお金を渡しました。このお金で徳兵衛も、親族も、納得して結婚して欲しいと言うのです。
しかし、徳兵衛は、やはり自分の妻になる女性はお初しかいないと思っていましたので、継母からお金を取り返して、醤油屋の主人に返そうとしました。
お金を主人に返す前に、徳兵衛は金に困っている親友にばったり出くわしました。仕方なく親友に金を貸しますが、親友が金を返しません。徳兵衛が親友に返済を迫っても、親友は「借りていない」と言い訳し、あろうことか徳兵衛が店の金を使い込んだと噂を流したのです。
お初にも見受け話が出てしまい、徳兵衛にはもう信頼も金も未来もありません。ふたりはこの世で結ばれないならと曽根崎の森で心中するのでした。
曽根崎心中は文庫本でも出ています。ぜひ読んでみてください。
近松門左衛門ゆかりの観光スポット
福井県鯖江市には近松門左衛門ゆかりの観光スポット「近松の里 たちまち」があります。
「近松の里 たちまち」は近松門左衛門ゆかりのいくつものスポットが集まった場所です。
榎お清水や春慶寺などのスポットを周れるようになっています。
春慶寺は近松門左衛門一家がしばらく住んでいたお寺だと伝わっています。ぜひ足を運んでみたいですね。
福井の偉人・近松門左衛門についてご紹介しました。
福井には他にも偉人にまつわる観光スポットがあります。他の観光スポットとあわせて、福井観光の際はぜひチェックしてみてください。
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