はじめまして、つんたです。
福井県生まれのだいたい福井県育ち。
小学生が元気にあいさつをしてくれたり、窓を開けて寝れば見知らぬ猫が添い寝をしてくれたり。のんびりゆるりと、、田んぼと畑の間よりお届けしております。
さてさて、そんな町でのお気に入りは古墳さんぽ。
実は福井県でも各所で古墳が発掘されており(500基以上あります)、もちろん我が家の裏山にもあります。
私の暮らす清水地域(旧清水町)には集落ごとと言っても過言ではないほど古墳群が点在し、意外に身近な存在です。
公園へ行くよりも古墳。ゲームセンターへ行くよりも古墳。
古墳の周りで鬼ごっこをして遊ぶのが当たり前の小学生時代でした。
そして十数年経った今、お気に入りのさんぽコースになっています。
古墳さんぽ
古墳へは、少し息が切れるぐらいの坂を登って向かいます。
舗装された道の両脇には竹や木が生い茂り、根元では野草の運動会。
たまの細い脇道は、神社へつながっていたり竹林トンネルになっていたり。
そして息のリズムがツーテンポ上がったぐらいで目的の場所に到着します。
凹凸のある小さめの広場にしか見えないそこには、2世紀前半(弥生時代)に造られたと推測されている『小羽山30号墓』があります。
北陸で最も古い四隅突出方墳丘墓であり、全国でも珍しい埋葬のされ方なのだそうです(50ほど出土している様式です)。
そもそも墳丘墓とは『土や石などで作った丘状の墳墓』のことを指し、世界で有名なのはエジプトのピラミッドですね。
なぜ小羽山30号 “古墳” ではなく『小羽山30号 “墓” 』と名付けられているかといいますと、古墳は3世紀半ばから作られるようになった権力者の墳丘墓のことを指し、弥生時代に作られたものとは区別されているからのようです。
また、『小羽山30号墓』は埋葬様式や副葬品から当時の王とよばれるに等しい権力者が埋葬されていたのではと考えられており、この一帯で前方後円墳も出土されていることなどから早い時代から大きな権力を持った一族が存在していたといわれています。
よ!歴史の町、清水。
二十年越しの真実
…………古墳じゃ……ない。
こうして軽快にご紹介してまいりましたが、この記事のために古墳について調べ、初めて知った真実でした。
二十数年、古墳だと思って通いつづけていた場所は弥生時代の墳丘墓だったみたいです。
奥深きかな、墳丘墓の世界……。
ロマン
それからさらに数十歩登っていくと、細長く開けた広場に到着。
麓から徒歩5分のこの場所ですが、まるで山奥に来たような気分になれるほど見渡す限りの山と空。ついさっきまでコンクリートの上を歩いていたなんて忘れてしまうぐらいです。
それからまったり歩いたり、山と空をひたすら眺めてみたり。
この土地で、弥生の人々はどんな生活を送っていたのでしょうか。
出土品から想像できる生活は、道具は違えど現在の日常とさして変わらないようにも思います。
家を作り、食事をし、家族と寝起きを共にする。
どんな言葉を話して、どんな容姿をしていたのかもわからないその人が、もしかしたら私のご先祖様で、もしかしたら同じ場所をボケーっと歩いていたのかもしれなくて。
食べ物は稗が好きでドングリが苦手、稲作の手伝いをよくサボって、きっと恋もしていたはず……。土器を作るのが得意で、狩りは下手。
そんな人だった……、らいいな。
うーん、、ロマン。
そして手を合わせて、下山です。
日常に古墳(墳丘墓)
お手軽に登山&古代ロマン。
弥生時代の誰一人予想しなかったであろうかたちで、古墳(墳丘墓)は21世紀一市民の日々に寄り添ってくれています。
鯖江の王山古墳群、足羽山の足羽山古墳群などなど、福井県には意外と多い古墳の名所。
おにぎり片手に古墳めぐりも良いですね~。
ひとときのロマンにひたる秋はいかがでしょうか。
これからどうぞよろしくお願いいたします!
参考サイト
「しみずっぺディア」
https://www.city.fukui.lg.jp/kankou/kankou/jouhou/introduce_shimizu.html
スポット情報
スポット名 | 小羽山30号墓 |
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住所 | 福井県福井市小羽町2−44 |
営業時間 | 24時間 |
最寄りバス停 | 京福バス「福祉センター前」 |
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