松尾芭蕉とは?福井県に縁のある「奥の細道」の俳人について解説

松尾芭蕉(まつおばしょう)は江戸の元禄で活躍した俳人です。

教科書にも名前が登場する偉人なので、名前や簡単な経歴についてはご存じの方も多いはずです。

松尾芭蕉は福井県と縁の深い偉人でもあります。松尾芭蕉という俳人と福井との縁について説明します。

松尾芭蕉とは?

松尾芭蕉は教科書にも名前が掲載されている俳人です。

松尾芭蕉は江戸時代に活躍し、その活躍の目覚ましさから「元禄の三大文豪」にも数えられています。

元禄の三大文豪と言えば、松尾芭蕉の他に井原西鶴(いはらさいかく)と近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)がいます。

近松門左衛門は福井県の出身です。

松尾芭蕉も福井県と縁があると考えれば、福井県は元禄の三大文豪とかなり縁のある県だと言えるかもしれません。

松尾芭蕉が俳人として遺した数々の俳句は、現在も親しまれています。

「古池や 蛙飛び込む 水の音」「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」「夏草や 兵どもが 夢の跡」などは有名ですよね。

これらの俳句はすべて松尾芭蕉作です。

松尾芭蕉の生まれと経歴

松尾芭蕉は伊賀国(現在の三重県)の生まれです。生まれだけ見ると福井県とは縁もゆかりもりませんが、後に俳人として有名になってから、福井にやって来ることになります。

福井と縁ができる前の松尾芭蕉についてまずはお話しします。

松尾芭蕉の本名は宗房(むねふさ)。生家は三重県の農家です。ただ、農家といっても裕福で帯刀を許された豪農の家柄でした。当時としては比較的良い家の出だと言えるでしょう。

ただ、当時としては裕福な暮らしは長く続きませんでした。松尾芭蕉が12歳のときに父親が亡くなってしまったのです。

松尾芭蕉が18歳になると、伊賀国の侍大将である藤堂家に仕えることになりました。

そこで藤堂家の嫡男と共に京の俳人から俳句を習うことになりました。俳句に触れ、俳句の才能を花開かせたものの、仕えていた藤堂家の嫡男が亡くなったために、士官の道を退き禅寺で修行の日々を送ることになります。

その後、松尾芭蕉は句集を神社に奉納し、江戸に転居しています。江戸に転居した後は俳句の先生をしながら、水道工事の監督などをしていました。松尾芭蕉というとどうしても俳句という印象が強いので、水道工事の監督というのは、ちょっと驚いてしまいますよね。

その後、松尾芭蕉は「野ざらし紀行」の旅や「更科紀行」の旅を経て、「奥の細道」の旅に出ています。奥の細道の旅では北陸や東北をめぐり、各地に有名な俳句を遺しています。

松尾芭蕉は江戸に戻ることなく大阪で亡くなりました。ですが、俳人としての功績から、現在も多くの人が松尾芭蕉の足跡を訪ねています。

松尾芭蕉と福井県の関係

松尾芭蕉は奥の細道の旅で福井県に立ち寄り、福井県の各所に寄り景観や逸話を楽しんでいます。

福井県内では、

・吉崎御坊跡
・金津総持寺
・天龍寺
・大本山永平寺
・左内公園

などに立ち寄っています。

それぞれの地域に松尾芭蕉の逸話が残っているため、観光でこれらの地を順番に回れば松尾芭蕉の逸話・足跡を辿ることが可能です。

歴史の教科書に名前が出てくる偉人が福井県内を旅していた。

そして景色を見て、歴史的な逸話を聞き、各所に足跡を遺している。ロマンがありますよね。

松尾芭蕉・奥の細道の書籍

松尾芭蕉や奥の細道に関する書籍は多数出ています。

中でも手軽に読める2冊をご紹介します。

まずは「おくのほそ道」の文庫本。こちらは読みやすい現代語訳も掲載されているため「昔の言葉は難しい」と読むことを諦めてしまうことなく、最後まで読める一冊です。手軽に読め、文庫本でもあるため、外出時や仕事に携帯し、隙間時間にさっと読むのもおすすめです。

こちらは松尾芭蕉の名句を掲載している文庫本です。

こちらも読みやすいので「俳句作品から松尾芭蕉に入りたい」という人には特におすすめです。

福井県に縁のある偉人として松尾芭蕉を紹介しました。

これをきかっけに、ぜひ作品にも触れていただければと思います。

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